明林寺文書

2018年1月26日、明林寺にて筆者撮影

山口県の明林寺に保管されている古文書には、中世末期の益田(匹見も含まれる)の領主であった益田元祥(益玄=益田玄蕃頭元祥)が、毛利輝元(1553~1625年)に対して「わさひの料理」でもてなし、感激させたとの記述があります。「ワサビ」に関する記述は、これより以前にも存在します。しかしながら、「ワサビの料理」について言及したものは、これが世界最古の記録になると思われます(筆者調べ)。原本の解読は次の山口県史に譲りますが、おおよその意味は、「わさびの料理はとても良いものであった。いつも親切にしてくれて嬉しい。今晩から領地に帰るとのこと、しかるべきことです。すぐに帰宅されるのを待っています(益田市教育員会・歴史文化研究センター・研究員訳)。」です。

山口県史 史料編 中世3、796頁、県史編さん室、2004年

因みに末尾の「かしく」は「かしこ」と同義。広辞苑では「手紙の末尾に書く語。多くは女性が用いる。」とされるが、当時は男性でも日常的に使用していたことを、上記の原本撮影に同行した研究員の方が言及していました。尚、本文書の当事者、益田元祥と毛利家の関係については次の書籍が参考になります。

「信じられず候」家康を袖にした男、益田元祥ものがたり、2018年2月1日、 橋本升著(益田市在住で当方の知人です。)

http://www.shinjirarezu-sourou.com/

明林寺の紹介

お宝の由来は毛利輝元の側近の家系、とのことを住職のお母様よりお伺いしました。

明林寺の門、基礎の石垣は丁寧な仕事!

明林寺の鐘楼(しょうろう)

明林寺の庭園、薄っすらとした雪景色でした

右らか住職、説明をするそのお母さま、お宝拝見中の鑑定士