山葵と粘り

作成:2018/09/17 更新:2018/10/08

以下味覚の研究機関による記述は、大変興味深いものがあります。味わいの領域は未だ「科学と非科学の境界」なのでしょう。

●教科書から消えた!?「味覚地図」と味覚の知識 2017.06.09

https://aissy.co.jp/ajihakase/blog/archives/13536

さて、匹見に来て初めて知ったこと、それはワサビに「粘り」があるということです。そして粘りのあるワサビは本当に美味しいものです。また、山葵の品評会でも、この粘りが100点満点中の配点20点で評価されています。しかしながらその理由は明確にされていません(同じく濃い緑色であることが配点30点ですが、その理由も明確でありません。本件については別途記載予定です)。現時点で根拠らしい記述を以下2点のみ発見できました。これについて自分なりの検証を試みます。

●ワサビ、横木国臣・上野良一、農文協、8頁、1971年

> 粘りは強いほどよい。粘りの少ないものは辛味の発散が早く、長持ちしないからである。

●金印社、おいしいわさびの選び方、2018年9月17日閲覧

http://www.kinjirushi.co.jp/wasabi/tabekata/

> おろし器でおろしたとき、粘りが強いものほどよい。粘りが少ないと辛みの発散が早いため。

さて、「粘り」を学術的にいえば「粘度」であり、粘度が高くなれば、それだけ流体抵抗を生むと云われています。したがって、粘りによって揮発を遅らせることは考えられなくもありません。この流体抵抗がバリアの役割を果たし、呈味成分が揮発してしまうことを阻害すると考えられるからです。つまり、山葵をすりおろした後、刺身の皿に盛りつけたり、握り寿司に挟んだりします。それが時間が経っても、美味しさが外に逃げにくくなる効果がある、と考えるのです。

因みに、うどんやラーメンに片栗粉で粘りを出すと、要は「あんかけ」にすると冷めにくい、ということが広く知られています。その原理は、まずあんが蓋の役目をして揮発(蒸発)、つまり放熱を防ぎます。それと同時に流体抵抗が対流を遅延させ、熱を内部に保持するからです。つまり、すりおろしたワサビにとっては、外部からの熱が内部に伝わりにくく、温度上昇が緩やかで、結果として揮発を遅らせる効果も、ごく僅かながらあると考えます。

尚、ワサビの成分は揮発するだけでなく、粒子がとても細かく繊細です。職業柄、山葵漬を頻繁に製造するのですが、これをガラス瓶に保存すると、数日間風味を持続させることができます。一方で薄いビニール袋に保存すると、2日と持ちません。風味がビニール袋を簡単に通過してしまうのでしょう。真空パックであっても同様です。食品業界では「ガスバリア性」という用語を使っていますが、この性能の低い包装・容器は山葵漬には使えないのです。尤も、シクロデキストリンという添加物を使えば例外ですが。

同じく職業柄、山葵の食べ比べを多く実施します。粘りのあるもの、粘りのないもの、2種類の山葵をすりおろし、ベストのタイミングで試食したこは何度もあります。酵素の働きを活かす3分を待ちます。おちょこに入れて逆さに置くといった、揮発を抑える工夫もしました。これで官能試験を実施すると、粘りがある山葵の方が断然美味しく感じます。これは何を意味するのでしょうか。「粘りが少ないと辛みの発散が早い」あるいは「粘りが多いと辛みの発散が遅い」ことだけでは、美味しさの違いを説明し尽くせないのです。そこでもう一歩踏み込んで、引き続き推測および考察を試みます。

さて、すりおろした時の山葵のテクスチャーは、およそ以下3つに分類されます。

  • ネバネバ (適度な水分で、高い粘度、まさにクリーミーな様子)
  • パサパサ(水分が少なく、ほとんど固形物の集合体に近い様子)
  • ビチョビチョ(水分が多く、液体に固形物が混じっている様子)

同サイズで比べた際、ずっしりと重量感のある山葵は、決まって「ネバネバ」です。「パサパサ」と「ビチョビチョ」の山葵は比重が小さく、水に浮かぶことも少なくありません。そして、擬声語でいえば「スカスカ」の風味であることが大部分です。もっとも、官能試験の結果には例外もありますが、その確率は1%未満です(※脚注)。このことから、以下の図式等は考えられないでしょうか。

  • 密度が高い=呈味成分が多く詰まってる=美味しい
  • 山葵が自らの密度を高める成長の過程で、同時に、粘りの成分も生成する性質がある

要は「そもそも呈味物質の密度が高い山葵は粘りの性質も併せ持つ」という考え方です。粘りを生む成分自体が美味しいのかもしれません。私は、この2番目の理由が1番大きな要素と考えています。

そして3番目の理由は、テクスチャーが味覚に及ぼす影響です。例えばドレッシングでは「具材に絡みやすい粘度に仕上げました」という表現があります。ラーメンでは、「とろみが麺に絡む」という広告も見かけます。この手の液体に関する機能性ではありません。要は「texture-flavour相互作用」、くだいて言えば、粘りがあるから美味しく感じるという単純な理由が考えられるのです。味は化学的味覚といわれます。一方でテクスチャー、食感は物理的味覚といわれ、美味しさの感覚に影響があるのは味覚以上との研究報告もあります。特に日本は、食感を示す表現の数は世界で一番多く、日本人にとって山葵の粘りは特に大切なのかもしれません。しかしながら山葵は、通常ごく少量しか使わないので、口内でテクスチャーを感じることは僅かで、さほど影響があるとは思えません。

引き続き論文を読み漁ると「増粘多糖類のある特定の部位(原子団)と呈味・香気成分が科学的に結合する」という様な推測がヒットしました。なんだか意味がわかりませんが、4番目の理由としておきましょう。現代科学をもってしても、味覚については分かっていないことが多いことが理解できました。

5番目の理由は、山葵の粘りは味覚や風味を感じる程度とタイミングを適度に調整している、という仮説です。難しく言えば「媒質の粘度が増加するために、呈味・香気成分拡散係数が低下するためにリリースが抑制される。」のです。つまり、次の様なストーリーが考えられます。粘りが無い場合は、体温で温められると呈味成分が急激に揮発し、それが過剰な刺激として一気に受容体に到達する。しかしながらその直後には刺激がすぐ消失してしまう。一方で、粘りが有る場合は、体温で温められても、味覚成分が緩かに揮発し、その結果適度な刺激が緩かに受容体に到達する。なおかつ、その刺激はすぐ消失せずある程度持続する。さらに、刺身等の食材に添えて食した場合は、その違いは特に明確になると考えられます。粘りが無い時はいきなりツーンで山葵だけ、その後に刺身だけと、それぞれ別個の風味しか楽しめません。しかし粘りがあれば、山葵と刺身の味を同時に、一体となったハーモニーとして味わえることが期待できます。この概念を以下グラフに示しました。

一般に食品の粘度は味覚を鈍感にさせると云われていいます。古くから、粘度の低い水羊羹が少ない砂糖で済むのに対して、粘度の高い羊羹では加糖を多く調整します。ソムリエの常識では、粘度の高いワインは風味が弱く感じられるとされます。粘度の増加に伴い、味蕾への到達が遅れるために呈味強度が減少することが、その理由と考えられています。この理解からすると、粘度の高い山葵は風味が乏しいと感じられる筈ではないでしょうか。それが逆の結果として印象付けられているのは、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということなのかもしれません。私は日本酒が大好きです。冷酒で美味しかったものが、燗にしたら酸味や香りが目立って逆に不味く感じられたことがありました。山葵の風味も、それと同じ様なことが起こっていると考えるのです。私は、この5番目の理由も重要な要素と考えています。

6番目の理由は「味の相互作用」によるものです。味の相互作用とは2種類以上の異なる味を混合したときに、一方または両方の味が強められたり、弱められたりする現象のことを指します。例えば、スイカに塩をかけると甘さが強く感じられたり、吸い物に塩を入れると旨味が増すといったことが挙げられます。逆に、コーヒーに砂糖を入れると苦味が、レモンに砂糖を入れると酸味が抑えらることが知られています。粘りの強い山葵は同時に甘味も強く、粘りの正体はほぼ甘味といえるでしょう。上品な甘味が食材の良さを引き出したり、逆に山葵の持つ不快な苦味を消し去っていると考えるのです。この6番目の理由も重要でしょう。

因みに相互作用はtasteおよびaromaでも確認されている様です。例えば、甘さがある程度強くないと、バナナの風味として感知されないとか、食塩が無いとホタテやカニの風味が認知されないといった現象です。tasteおよびaromaは独立ではなく相互作用があるのです。よって7番目の理由として、山葵のtaste(甘さ)と山葵のaroma(風味/グリーンノート)が相互に高めあっているのかもしれません。

そして8番目、粘りの正体は「ほぼ甘味」とは前述しましたが、その副産物としてミロシナーゼやアスコルビン酸(ビタミンC)であることも考えられます。酵素ミロシナーゼは苦味のあるシニグリンを分解します。一方アスコルビン酸はミロシナーゼの活性を促進させます。ともに不快な苦味を残らない様にする働きがあり、山葵を美味しくさせることに繋がります。

以上、自分なりの推測を列挙しました。粘度については興味深い、十分説得力のある推測・指摘もありますので、次の通り紹介させて頂きます。いつの日か聡明な方が、山葵の粘りについて秘密を解明して頂くことを祈ってやみません。

とろみがあると旨味や塩分を強く感じられるのは唾液によって薄まり難くなるからではないでしょうか(粘度計のリーディングカンパニー、東機産業株式会社、営業推進室、藤山氏、2018.9.19

島根のワサビは醤油を垂らしても、くずれけんけんね。島根のワサビ特段ねばりが強いんだよ。ほかのところのワサビは醤油をたらすと崩れるからな。だから他のワサビ農家の人には自信をもってつくってくれといったんじゃがね。(斉藤 侑生、島根県鹿足郡吉賀町柿木村、昭和12年3月22日生まれ、サイトウ ユキナリ)

<脚注>

粘りがありながら不味い山葵は、筆者の生涯で2回だけ経験しました。千本以上試食したうえでの経験なので、稀な例外として捉えても良いでしょう。

  • 1回目、広高山圃場付近の谷で野生の山葵を採取、ただただ「甘い」だけでした。
  • 2回目、育種検討会にて。生産者によると美味しい山葵を育種用に保存していたら、害虫による食害に遭遇。味が変わったのかも、とのことでした。これも「甘い」だけでした。

上記2例の直接的な原因としてシニグリンが少ないものと推測します。ともに苦くなかったので、ミロシナーゼが少ない原因とは考えにくいです。また、間接的な原因として以下2点が推測できます。

  • 山葵が病気になってシニグリンが生成されなくなった。

※2回目については、この理由で害虫が寄ってきたのかもしれません。

  • 山葵が大量の害虫に襲われ、シニグリンを大量に生成して最初は抵抗していたが、そのうち力尽きて生成されなくなった。

※それなら、苦味が残っていても、おかしくないのではないでしょうか?

<参考文献>
西成勝好,食品のテクスチャーとフレーバーリリース,日本調理科学会誌 Vol. 48,No. 2,154~165(2015) 
西成勝好,食品ハイドロコロイドの開発と応用,シーエムシー出版、2007/6/1
聞き書き 柿木村のワサビにかけた思い - まち冒険 https://machibouken.jp/key064/
コクと日本酒 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/98/6/98_6_388/_pdf

<以下草稿メモ>

鼻で感じられる香気成分のリリースは溶液粘度が水程度から粘稠なソース程度まで変化しても影響を受けないのに対して.口腔内で感じられる風味のリリースは粘度増加により顕著に減少することが示されている

Q.「わさびは本当に醤油に溶いちゃいけないの?」〜むむ先生の"食"超解説シリーズ〜 Q&A編

https://retty.news/32606/

> 薬味の風味も醤油に加えることで、だいぶ抑えられ、食べやすくなるのです。わさびも醤油に溶くことで、辛さが抑えられるのです。

生ワサビは高価です。もし薬味として効き目が強いのなら、つける量を少なくするべきではなないでしょうか。この筆者の提案は、車でいえばアクセルとブレーキを同時に踏む様なことです。減速するには、まずアクセルを戻すのが先ではないでしょうか。但し、チューブわさびの場合はこれでも良いと思われます。辛味が強い一方で粘度が高く量を調節するのが困難だからです。

> 鼻の奥に強烈な刺激を与える部分が和らいでくれたおかげで、かえってわさびの甘さなどに、気づくことができるのもポイントでしょう。

製造の過程で醤油にも糖分が残っています。積極的に加糖する商品も少なくありません。したがってこの筆者が感じたのは「わさびの甘さ」よりむしろ、醤油の甘さと考えられます。

ワサビの辛味・香気は、酵素であるミロシナーゼの働きに由来する。またアスコルビン酸(ビタミンC)は最大で1.63倍ミロシナーゼの活性を促すことが知られている。一方でワサビには100gあたり75mg(0.075%)のビタミンCが含まれているとされる。

●日本食品標準成分表2015年版(七訂)

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/11/30/1365343_1-0206r8_1.pdf


しかしながら、以下論文によると、その含有量については、約3倍の格差があることが示唆される(1.6x1.3x1.5=3.12倍、単純計算は少々乱暴ではあるが・・・)。このことから、匹見ワサビの品種、気候や渓流式ワサビ田という栽培環境は、アスコルビン酸(ビタミンC)の含有量が極めて高くすることが推測できはしないか。この「粘り」はその相関関係の象徴、という仮説である。

●作物生育条件と野菜の栄養成分・調理性との関係

https://www.jstage.jst.go.jp/article/eiyogakuzashi1941/56/1/56_1_1/_pdf

> 表1 品種の異なるほうれんそうのビタミンC含有量

> かつ て日本で栽培 されていたのは東洋種で,これは葉に刻みが入っており,根元が赤みをもつ形態を有するものである。しかし,この品種は害虫の影響を受けやすい ことなどの理由から,ほとんど生産されなくなった。"豊葉"はビタミンCを多く蓄積することが分かる。味も良好である。改めて"豊 葉"を見直そうという生産者も出てきている。

> 最低80、最高130

→品種による違いは1.6倍

> 水ストレスにより少潅水区のほうが両品種ともにビタミンC含有量が多い結果が得られている7)。

→ストレスによる違いは1.3倍

> 表6栽 培条件の異なるブロ ッコ リーのビタミンC含有量

→慣行農法と有機農法、農法による違いは1.5倍


追伸

高温ストレスも成分に影響するとの報告がある。

●葉カラシナにおけるアリルイソチオシアネート発生への栽培温度の影響

https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3596&file_id=22&file_no=1